きたけんブログ

旅と趣味と

シオヤプロジェクトの勝手にまち探訪 vol.62 深江編

シオヤプロジェクトが主催するまちあるきイベント「勝手にまち探訪」、深江編に参加しました。神戸市東灘区の阪神深江駅のまわりを歩いてまわりました。

阪神深江駅の駅前には大日霊女神社が、そしてその境内には「魚屋ととや道」の石碑があります。魚屋道は、江戸初期に設けられた東六甲で最も古い山越えの交通路で、灘地方と有馬を結んでいました。深江であがった魚を温泉地の有馬まで運んでいたそう。

南下して深江大橋を渡ると、人工島の深江浜町があります。ぐるりと防潮堤で囲われており、三宮でよく見かける「KOBEうわさプロジェクト」と呼ばれる吹き出しのメッセージが掲げられていました。

中央卸売市場東部市場は、1969年(昭和44年)に開設された卸売市場で、青果・水産物・花きを取り扱っています。奥には阪神高速湾岸線の東神戸大橋が見えます。

雑多にディープな空間が広がります。

市場の2階にある「市場の食堂」で、ボリューム満点のランチをいただきました。一般の人も利用できます。

深江浜町は多くの工場が集まっており、ちょっとした「工場萌え」です。

キューピー神戸工場かわいいですね。予約があれば工場を見学できるそう。(予約がなかったので見学できず)

東神戸大橋

阪神高速湾岸線の東神戸大橋を見上げます。

深江浜町をあとにして、陸にもどります。

かつては漁村として栄えた深江も、埋め立て事業に伴って、1972年(昭和47年)10月に深江を含む神戸東部漁業協同組合は解散しました。この地には豊漁を祈願した「えびす神社」がありましたが、1993年(平成5年)に「えびす大神」の御神霊を、先の大日霊女神社神殿に合祀して、1994年(平成6年)に社殿などを撤去したそう。(ということが書いてある碑がそばにあります。)

いまの行政区に編入される以前の集落・村の資産を管理する団体「財産区」が管理しており、写真の「えびす工房」も財産区から土地を借りて、陶芸の工房を営んでいるそうです。

太田酒造の迎賓館。敷地の外から撮影。

大正から昭和にかけて、この辺り一帯には、ピアニストのアレク サンダー・ルーチン、指揮者のジョセフ・ラスカやエマヌエル・メッ テルら、ロシア革命(1917年)の亡命者たちが居住していた。彼らを 慕って多くの門下生が集まり、音楽を通した交流からは、朝比奈隆、 服部良一、貴志康一、大澤壽人ら多くの日本人音楽家が生まれた。 この地域が深江文化村と呼ばれる由縁である。

深江文化村は、関西で多くの西洋建築を手がけた米国人 ・ウイリアム・ヴォーリズの弟子で、建築家の吉村清太郎によってデザインされた。敷地には十三棟の洋館が中庭の芝生を取り囲むように建てられ、大正モダニズムを象徴する空間として知られたが、近年の宅地開発や震災により、今や2軒が現存するのみである。

現地案内板より

深江南町には「深江文化村」と呼ばれる西洋建築が立ち並ぶエリアがあります… が案内板にあるように2軒しか現存せず、さらに今年そのうち1軒が取り壊されて、残り1軒となってしまいました。

「散在していた石仏や五輪塔などを、付近の市街地化にしたがって、旧西国浜街道が高橋川を渡るこの地に集め、まつっている。」そうです。

「GEN’S HOUSE」というレンタルスペース。面白い作りです。

阪神深江駅の駅前には「西宮市下水道」と記されたマンホールがあります。諸説あるそうですが、阪神・淡路大震災時の資材不足で設置されたとかなんとか。私道みたいですしね。

本庄町公園には戦前の土地区画整理事業の碑があります。歴史過ぎる。

森稲荷神社の参道にある「朱鳥居」は、「高さ5.8メートルで昭和2年(1927年)に建立された。この朱鳥居は昭和20年(1945年)5月11日の空襲の際、青木にあった川西航空機甲南製作所(現在の新明和工業)の攻撃目標の目印とされた悼ましい 歴史も秘めている。」とのこと。

深江を離れ(?)、森稲荷神社を経て、JR甲南山手駅でゴール。

深江は、地味でなにもないと思っていました、ごめんなさい。

2024/5/24